マームとジプシー / 藤田貴大に聞く
”演劇”という場の作り方

色々な場所で”演劇”見るならどれがいいの?という会話をしていた。
それなら、「マームとジプシー」だ。他の知り合いに聞いても同じ答え。
周りにいる演劇に詳しい人たちが、まず口にするのは「マームとジプシー」だった。

偶然が重なり、マームとジプシー主宰の藤田貴大さんの話を伺う機会を得た。
約2時間におよぶ”演劇鑑賞ど素人”な松倉が、藤田さんに聞く「演劇という場とは何か?」のロングトークをお届けします。

聞き手 : 松倉早星 / 撮影衣笠 名津美
会 場D&DEPERTMENT KYOTO
協 力 : やなせ あんり

撮影|篠山紀信
撮影|篠山紀信
藤田貴大
演劇作家/マームとジプシー主宰
1985年生まれ。北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科卒業。2007年マームとジプシー旗揚げ。2012年「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で26歳の若さで第56回岸田國士戯曲賞受賞。同じシーンを高速でくり返すことで変移させていく「リフレイン」の手法を用いた抒情的な世界で作品ごとに注目を集めている。2012年よりマームと誰かさんシリーズと題し、様々なジャンルの作家と共作を発表(音楽家・大谷能生、演出家・飴屋法水、漫画家・今日マチ子、歌人・穂村弘、ブックデザイナー・名久井直子)。2013年8月今日マチ子の原作である「cocoon」の舞台化に成功。2014年3月から5月にかけて小説家・川上未映子の詩を一人芝居として7都市8会場で上演。自身オリジナル作品として、2014年6月「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと―――――」を上演。
http://mum-gypsy.com/

「その場」で出会った人と
何を起こせるかを「その場」で考える


松倉
今朝、稽古見に行って、実際に作ってる場を初めて見たんです。
驚きがたくさんありましたね…藤田さんは、京都に滞在してどの程度経ちました?
藤田
ちょうど一週間くらいです。
ただ5月のオーディションから、二週間に一回程度は京都に来てたのかな。5~7月と、関わり続けてます。

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松倉
今日、稽古していた『A-S』は、一般の方からオーディションで出演者を?
藤田
そうですね。年齢も中学生以上だったのかな、あんまり設定しないで、たくさんの人が受けに来てくれて。
松倉
オーディションの時点でどういったものを作るかは、決まっているんですか?
藤田
いや、僕はまったく決めてないですね。
松倉
今日稽古見た時に、藤田さんずっと書いてて、え!今、書くんだ!って、それが衝撃的だった。

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藤田
僕の場合、脚本がないんですよね。
その場で、今日来た皆の感じを見ながら書くっていうことしかやったことないんです。
家で書いたことは一回もないですね。
松倉
演劇って、全部決まったうえで稽古してるもんだって思ってた。
藤田
作品によるんだけど、僕は事前に書くことは一回もしたことがないです。
筆が止まる時もあるんだけど、今回はなくてそれが気持ちいいですね。
松倉
つまり、プランはまだ明確ではない状態でオーディションをして、この人だなって思う人たちで物語を考えていく感じなんですか?
藤田
それが今日まさに話したかったことではあるんだけど、何かある演目に対してキャスティングするってことになっていくと、ものすごく限定的な人の選び方になると思うんです。
演劇とか作品ってできちゃうじゃないですか、プラモデルみたいに。
こういうプロセスを踏めば、みたいな部分が正直あると思うんだけど、それって僕はあまりよく分からないというか、面白味がないというか。
その場で出会った人と何を起こせるかをその場で考える、っていうようなやり方のほうが、「人のこと」としての作品になるような気がするんです。それは意識しながらオーディションもしてる。
松倉
つまり、来てる人が違ったら、描かれる物語も変わってくということなんですね。
僕らがやってる仕事は、先に目星をつけて完成を目指していくっていうやり方なんだけど、それと真逆だよね。
だから新鮮な感じで見ちゃってた。こっちのほうが正しいんじゃないかって気がちょっとしたくらい。
「演劇の作り方」みたいなのは独学に近いんですか?
藤田
結果、独学になってる。
僕は10歳からずっと演劇やってるんです。「演劇」というプロセス踏みながら作品を作るということしかやってこなかったから、そこには大人たちがいたわけで、それは見てきたんだけど、いざ自分の作品を作る、となると自分しかないので、結果、独学ですね。
松倉
「マームとジプシーは、僕一人」と言ってて。
これまでも今も大量に作品作ってるわけじゃないですか。
全ての演目ごとに出演者をオーディションしてるんですか?
藤田
そうですね。演目ごとに。
いろんな意味で僕の作品との相性が良い子はいるので、レギュラー化してる子もいるんだけど、その子たちも作品によって出演してもらうかどうかを僕が判断しています。
もし「劇団」っていう仕組みがあるんだとしたら、劇団って仕組みは、僕にとってはすごく窮屈に思うんです。というのは、「劇団員」みたいになっちゃうと、どんな作品でも出演出来る、出演してもらえる関係になってしまうので、そういうことにはしたくない。あくまで僕が作品ありきで選ぶか選ばないかっていう関係じゃないと健全じゃない気がしたんです。
劇団員だけでという方法もあるけれど、そこで失われるものがあるような気がして、常に「企てる側」でありたい、みたいなことは、最初から意識してました。

「オーディション」という名の
創作が始まってる


松倉
配役を選ぶときって、どういう視点で決めてるんですか?
藤田
例えば、マンガが原作のものをやる時とか、役のイメージがすでにあるキャスティングの打ち合わせになった時に、それに当てはめようとする言葉が出てくる。
でも、僕自身、役者さんのことを役だと思ってないという部分があって。その人がとても達者な役者だったんだとしても、不得意な面って必ずあると思うんです。そのニュアンスとか、「役者かどうか」というこよりも「人そのもの」がすごく影響するから。

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松倉
役者経験とかは関係なく?
藤田
関係ないんですよね。
だから、オーディションってすごく大変なんです…僕は、何回も審査を重ねるんです。
一回のオーディションじゃなくて、大体5次審査6次審査くらいまでやるんですけど、その中でオーディションっていう名の創作が始まってる。
松倉
オーディションが本当の意味でスタートってことなんですね!!

誰かが誰かのせいにできる関係性にしたくない。


藤田
スタートですね。「キャスティング」って言葉が、僕は最近好きで。
「何をキャスティングするか」だと思うんですよ。

キャスティングっていったら、誰を出演者にするかとか、どの役に誰をとかっていうキャスティングに捉えられがちなんだけど、キャスティングって言葉ってそれだけじゃないじゃないですか。「誰と関わるか」ってことだと思う。

企画レベルでいえば、他ジャンルのどのアーティストと関わるかってことも含めて、キャスティングじゃないですか。誰を美術として招くかってことも。だけど、演劇におけるキャスティングって、「出演者の配役」に絞られる話になってるような気がして、そこにまず違和感がある。もっといえば、舞台にどういう机を置くかとか、どういう間接照明置くかとか、僕の中ではそれもキャスティングなんです。

松倉
え、そこもやってるんですか?
藤田
全部やってる。
僕がまず予算全部握るってことです。

その予算の部分で、誰やどこに何を使うかってことから打ち合わせを始めるので、フラットなんですよね。

出演者があたかもメインのようなことを、演劇に対して抱いている人も多いかと思うけど、出演者、配置する物、すべての予算も含めて、同じラインでやりたい。

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松倉
そこまでやってるんだ。見てる側からすると、分からないところだけど、ほぼ全部なんだ。
藤田
一人じゃできないとは思うんだけど、ある程度自分一人でやってかないことには、把握できてないって状況になる。衣装は○○さんの管轄だからとか、舞台美術は××さんの管轄だから、結果、観劇後に「演出は好きだったけど、舞台美術は好きじゃなかった」みたいなことがよくあると思う。

僕の舞台でも、それはもちろんあると思うんだけど、誰かが誰かのせいにできる関係性にしたくない。

松倉
支えてくれてる人はもちろんいると思うんだけど、全部一人で背負ってるようにも感じる。
本音をいうと、その割り切り怖いなあ。すごい勇気がいることだなあと思った。
全部を知ってなきゃダメって、すごく労力がかかることだと思う。今、京都に滞在してる中でも、ものすごい演目数じゃないですか。それを全部やってるんだって思うと…ちょっとマジでゾッとするなあ。

コンセプトは流れの中で必然的に見えてくる。


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松倉
今回の「A-S」も、最初は完成図は見えてなくても、土台となるコンセプトみたいなものはあると思うんだけど、
どの時点で、次やるんだったらコンセプトはこれだなって決まっていくの?
藤田
流れっていうのがあると思っていて。
京都だからこういう作品をやるって一言では言えないのは、今までの流れがあるからなんです。北九州でしたり福島でしたり、イタリアとか、海外でもやっていたり、「滞在制作」というのもが、僕の大きな仕事の一つだと思ってる。

滞在制作では、現地の人たちをキャスティングして、「その人たちと、そこでのことを作る」ということをやっていくわけなんだけど、終わった後に、「ここは僕は踏み込めなかったとこだ」とか、考えるわけです。

京都でやる以前の、今までの滞在制作の中での反省みたいなものを、今回にぶつけたくなってくるわけじゃないですか。僕の滞在制作というカテゴリーの中で一番良い状態を今回の滞在制作の中に持ってきたい、みたいな部分があって、その流れから、必然的に浮かびあがってくる。

松倉
次はこれっていうものは、明確にあるわけだ。
藤田
明確にあるし、僕はつながりで見ちゃう。
3年先のことまで、スケジュールって埋まっていくんだけど、2年後、3年後に自分はどういうことに取り組んでるんだろうっていうのが、30代になって、なんとなく20代の頃よりも見えるようになってきました。
松倉
藤田さんって、若いタイミングで作品が評価されたじゃないですか。それってプレッシャーとかにならなかった?苦しくなることってあるんですか?
藤田
なんかね、たぶん若かったんだってことは分かってきてるんですよ。
でも、若かったと思うんだけど、その当時は、評価というものがあったんだとしたら、あまりそういうことは一生懸命考えてなかったと思うんです。というよりは、偶然評価があっただけで、評価されてた最中も、自分はこういう風にありたいっていう、何年後かのビジョンに向けて動いていた。だから不安や恐怖はなかった。

作品を売って、これが失敗するか成功するかっていうことに関しては一回も怖がったことがない。
作るテンポがはやいとか言われるんだけど、そこに対して準備があるし、まだ枯れてない部分がすごくあるので、一回も怖がったことはないんです。

どこの場に行っても「ここに来る」っていう
時間を費やしてくれる人と
しっかり向き合わなくてはいけない


松倉
今日の話でも「場」っていうテーマがあったんですけど、その土地だからこそできる「演劇=場」という考え方ですか?
藤田
今、すごく楽しくて、このまま楽しい感じで、滞在期間が終わっちゃうかもしれない。
でも僕が興味あるのって、どちらかというと、「楽しいことじゃない方」だったりする。

人だし、生活してるし、何かしらあるよねって、良くも悪くも京都なんだよって部分が見えてくる時があると思うんです。
楽しい雰囲気で、いつまでも過ごせちゃうな、とか思いながらやっている。
いいんだけど、楽しいだけで終わっちゃいそうになる。
「それだけじゃないよね」ってところに踏み込めるかどうかが勝負かなと思ってる。
人がそこに「いる」とか「住む」とかって、綺麗事だけじゃないから。

演劇っていうのは、演劇の2時間を過ごしに来ちゃった人たちに見てもらうっていう、実はとてもヘンテコな場所だと思う。
なんで家から出てここ来たの?今は家から出なくても面白いものは見られるじゃないですか。
なんだって買えるし、海外ドラマなんて、楽しいじゃないですか。生活がそういう速さになってる中、家からわざわざ出てここに来てくれてる人たちが、出演者も含めてなんですけど、家から出てきてくれる人たちっていうのが、僕の商売相手なんです。

それは観客も役者もスタッフもみんな同じ。とにかく僕の作る「場」に対して来てくれる人のことです。来てくれてる人たちが商売相手だっていう意識は、京都で作るかどうかっていう話よりも、もっとゼロ地点の部分。どこの場に行っても「ここに来る」っていう時間を費やしてくれる、そういう人としっかり向き合わなくてはいけない、という意識が強い。
そういう意味で、どこの場所でも可能であるとは思ってるんです。

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松倉
作ってる最中は、見にきてくれてる人のことを意識してるんですか?
藤田
「見せる」とか「見る」みたいなことの意識はしてる。
もちろん「見にきてくれる人」のことも意識してると思うんだけど、意識してるからこそ、意識してないってことをやる、そんな部分はありますね。

偶然やってることに対して、何か目撃されてたり、ただ単に傍観されてたりするわけなんだけど、偶然何かがやられてるって状況を、見られてるからこそ作っていく。

その時間がきたから上演時間ってことでやるんだけど、上演時間だけをやってる人たちじゃないわけなんです。出演者とはいえ、その人が時間を費やして、そこで出演するってことを選んでるだけで、普段は日々生活してる人であるわけだから、観客とあまり変わらないと思うんです。

ただ単に人が交差する場所が劇場なだけで、構えてるからこそ、構えてないというか。
そういうことは意識していますね。

松倉
それめちゃくちゃ面白いな。
役者ですら、稽古とかいろんなものもあるけど、その前提に生活があるわけだ。
藤田
だから役者さんっていうのは、観客の皆さんよりも僕のもとに来てる回数が多い人ってだけなんです。観客の人もチケットを買って、「僕に関わろうとしてくれてる」っていう、ある一つのハードルを越えて来てるわけです。
意志がある人たちっていうのは、究極的にはフラットなんです。ただ、経験値の差が生まれるだけ。稽古をする、準備をする、っていう経験値が、観客の人よりも時間としてあるだけで、もとを言えば、ただの関係者なだけ。

芸術が辞められないものになってしまった。


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松倉
「マームとジプシー」の「ジプシー」は放浪っていう意味で、いろんな場所に行って、自分の作品だけじゃなくて、例えば、今日マチ子さんの漫画を原作としてやったり、別の作家のものをやったりとか、2011年くらいから、コラボレーションしてますよね。
それには何か決め手があって、今のように動き始めた?
藤田
26歳で一つ賞を頂いた時に、自分の言葉が思い描いたかたちで熟成したのを感じてしまった。一つの分かりやすい評価もあったし、一緒にやってる周りの仲間にも達成感があった気がした。
そこから今4年間経ったんですけど、その4年間のマームとジプシーの立ち振る舞いは、メインとしてはコラボレーションだったと思う。
なぜそれをしたかというと、自分の言葉を違う人の言葉によって補強したかったっていうことが強くあったし、空間に対しての考え方、これから大きい劇場でやるということになるであろう、ある意味での恐怖感みたいなものに対して、何をもって補っていくかって考えた時に、自分一人で選ばない方がいいなと思った。
自分一人ですべてを選ばない状況に追いやっていくってことで補おうとした。キャスティングの話をしたのも、出演者をキャスティングするだけが、演劇におけるキャスティングじゃ実はないってことも分かった。

なんかね人生が長かったんですよね、ある熟成を迎えたなって思ってから。
24とかそこらへんまではバイトもしてたし、僕のなかで演劇はいつでも辞められる芸術だったんです。いつでも辞めようと思ってたくらいだったんだけど、評価をもらったり、お金も入ってくるようになった時に、芸術 が辞められないものになっちゃったんです。

今、大学生だという方もいると思うんですけど、いつでも好きなものは、辞めていいわけじゃないですか。好きだったら続ければいいと思うんですけど。辞めてもいいものじゃなくなったっていうのが、ある意味で辛くなった。だいぶ早くに、いろいろなことが現実としてきちゃったんです。予算っていうレベルでもそう。ちゃんとギャラも入るし、僕 も食ってけるんだ、みたいなことがなんとなく決まっちゃった。そういう時期に、どういう風にお金を使うか考えた時に、それはコラボレーションだな、ってこ とを思ってました。

松倉
様々な分野の人とやって、得るものって大きかったんですか?大変だった?
藤田
すごく大変でしたね。
僕の考え方が、いわゆる衣装を作って欲しいとか、劇伴を作って欲しいとか、そういうオーダー方式じゃなくて、「一緒に作業しましょうよ!」っていうスタンスだから。

例えば、漫画家さんとやって面白かったのは、僕らが手にとって見て漫画って清書で、その前にはネームって段階があって、その時にここまで編集者さんにダメ出しされるんだ、って現場を見るわけなんです。
ミュージシャンも含めて、なんでこうなるのかっていうプロセスを見るんです。

それって演劇用語じゃカバーできないものだったりするんですけど、そういうことを知らずに劇伴は頼めないし、漫画家さんにも、なにも知らずに、原稿まだですか?とか絶対に言えないじゃないですか。

僕は演劇の作家だから、潜ったところでのその人たちとの関わり方は、実際にそういうことをしないと分からなかったんですよ。
松倉さんはいろんなジャンルの方と仕事をしてると思うんですけど、どういう風に付き合っていくんですか?
僕は26歳までは作家だったんでだけど、26歳からは、学園祭実行委員長みたいな仕事をしてるんですね。みんなの意見をまとめて、コラージュにしていくみたいな。
演劇ってやっぱり「場」になりやすい。音響もあるし照明もあるし美術もあるし役者との関わりもあるし、物語もあるわけだから。まとめ方みたいなことをどうなされてるのか聞いてみたい。

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松倉
まず、うちにくる仕事は、「どうしたらいいか分からない」っていう、解決方法がイメージできなかったものが多い。

森の研究をしてる方が、「森をどうにかして守りたい」っていう相談を受けたり、お寺のお坊さんたちが「若い人にもっと関心をもってもらいたい」って相談がきたり。
そもそも倒れて起き上がれないものごとを、なんとかして立ち上げたいっていう世界感なんです。
こういうことって、「まだ誰もやってないこと」だったりを実現してかないといけない。そのやり口を見つけるのが僕らの仕事。

だから、基本的に「誰でもできてしまうこと」はやらない。
「やったことないこと」を基本として、実現するための制作の仲間も、僕らが信頼して、この人たちとなら一緒に達成できるっていうメンバーを選びます。

プロジェクト・ゴールを目指す上で集まるクリエイターは、各々の分野のプロフェッショナルだから、正直に分からないことはすぐに聞く。
今やってることのこれが全然分からない、ってすぐに言っちゃって、でも彼らも、僕らがやってる作業は分からないから、僕らと同じように、なんでこの言葉なの?なんでこの戦略なの?って聞いてくる。すごくイーブンな関係。

藤田
今の話にも出てた、「誰でもできてしまうもの」ってあるじゃないですか。自分たちに依頼が来た時に、既存のモデルがあれば出来ちゃうことを、「そうじゃないことで!」っていうようにオーダーを解釈するわけですよね。
松倉
既にあるようなことはやらない。うちじゃなくていいってなると思うから。
どんだけ忙しくても、森とか、宗教とか突飛な相談は、基本断らない。よし、一緒に考えようって、そういうのは楽しい。
藤田
今回「A-S」を作っていて意識してるのは、プロジェクトメンバーっていう人たちも一緒に集めてるってこと。
この企画もプロジェクトメンバーが企画し、トークイベントが開かれるていて、そのこと自体、僕としては実はアツい。
普通ならこういうイベントって、劇場主催の人が決めたり、マームとジプシーに依頼がきて、それを僕が受けたりってことが多いんだけど、僕のオーディションで選んだ人がこのトークイベントを企画してくれてるっていうことが、今までの滞在制作とは違う流れがきてるんじゃないかなって思う。
松倉
このイベント自体が、今までの流れと違うんだ。
演劇に限らず、その周辺も含めて一緒に作っているんですね。

自分たちの作り方を疑っていく


藤田
「自分たちの作り方を疑っていく」っていうのは、一つすごく重要なことなんじゃないかなと思ってる。やっぱりできちゃうんですよね、演劇って。

それは高校生でもできちゃうじゃないですか。こういうプロセスを踏めばとか、劇場っていうのは、こういうタイムスケジュールで過ごすんだよとか、予算っていうのはこういう風に使うんだよとか、そういうことを演劇専攻にいると大学で教わる。

プラモデルみたいに、こうすればできちゃうっていうのはあるんだけど、それをしていたんじゃ新しいところにはいけない。どこかで組み替えてかないとオリジナルになってかないっていうことがあると思うんです。

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松倉
今日の『A-S』の稽古中、出演者と「農業やってるんでしたっけ?」みたいな会話をしてましたよね。あれ、なんの会話やろなって思った。
藤田
ずっと、出演者に気になってることをインタビューしてるんです。
その人の答えが、またちょっと頑固で面白くて。「農業ではない、農業の業ではない」って言うんです。「農作ですか?」って聞いたら、「いや農作でもないと。厳密に言えば田んぼなんですけど」って、分かんないよ(笑)みたいな感じはあるんだけど、これは多分東京じゃできない。

ここでは東京じゃできないことをやりたいと思ってる。
なるべく僕の言葉っていうものをセーブしながら、ここに集まってくれた人たちの言葉を聞くようにしよう、みたいな姿勢って、東京では求められてるマームとジプシーっていうものがあるから、多分できないというか。

マームとジプシーっていうのは、これから多分大きくなっていくんだと思います。
僕が40代、50代になっても続いてるんだとしたら、そういう立ち位置になるんだっていうベクトルはあるんだけど、でもそれだけをやってたら、いわゆるキャストだけが豪華になって、チケット料金だけが上がっていくような演劇になっていくだけ。

それは劇団のやり方だと思う。僕は劇団ではないから、マームとジプシーでもそうだけど、出会った人と話しながら、つくりたい。

名前がない人たちの言葉の受け皿になる


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松倉
人と関わり合いながら作りたい、っていいなぁ。
僕がやってることってアイデアを作るっていう仕事なんだけど、アイデアを作る人って最初から才能があるとか、生まれもったもんがあるんだって無意識に思われてるんだけど、そうじゃないんですよね。
よくワークショップをやるんだけど、一般市民の人たちを50人くらい集めて、ある課題のもとにアイデアを作らせるんだけど、1時間、2時間のレクチャーで、僕が嫉妬するくらい良いアイデアを出してくるんですよ。

本当はアイデアを出すってことは誰でもできることなんだけど、刷り込まれたイメージで「アイデアを出すのって難しい」とか、「みんなの前で言うことが恥ずかしい」みたいなことになってるんですよ。その認識をひっくり返してあげるっていうことをやってる。

藤田
分かります、分かります。
コラボレーションをするっていうことで、外の人の仕事の様子をちゃんと目撃したり、外の人がどういう言葉を使うのかなとか、小説家は自分にはない言葉をもってて嫉妬するわ、とか、そういうことを4年間はやってたんだけど、今年になってすごく明確になったのは、そういう名のある人とのコラボレーションも楽しいけど、今、僕の目が向いてるのは、「名前がない人たちが何を言うか」っていうことなんです。

ワークショップのプログラムを20代の時は頑張って作ってたんだけど、それがやっと実ってきたような感じがあって、たまに天才的な一言があるんですよね、特に子供とかには。これ穂村弘さんが聞いたら絶対喜ぶよ、っていうような言葉が出てくる。

今日も来てる高1か高2くらいの子がいるんだけど、その子が「新郎新婦がタバコを吸ってる姿ってやばくない?」みたいなことを言ってて、「新郎新婦が新郎新婦の姿をしながらタバコを吸ってる姿を見て爆笑した」みたいな話をしてて、詩として天才だな思った、そういう詩集があったら僕は買うわ、みたいな。

4年前はプロとしての言葉とか、プロとしての仕事を見つめるのが必要だと思ってたんだけど、そういう意味で30代になって楽になった部分があって、これは僕が頑張らなきゃいけない仕事でもあるんだけど、少し腰を据えて構え始めたというか。

何者でもない「真っさらな人たち」が、時折言ってくる言葉って、名前がある人たちは言えないっていう。
僕も言えないなってことを言ってくれる人たちの受け皿を僕がちゃんと作って、しかもそれを作品っていう状態に持っていけたら、すっげえ面白いし、多分ある層が怯えるんじゃないかなって思って。
絶対にプロには出せない領域。よく言われる話じゃないですか、素人に勝るものはないとか、受け皿・システムを僕が作ることで、地方でやってるっていう綺麗事だけじゃなくて、多分怯えると思う(笑)これでそんな面白いの?ってみたいなことになっちゃうと思う。

僕は、詩って言葉でしか言えないんだけど…詩って「詩じゃない」と思ってる段階の方が、よっぽど「詩」だったりするんですよ。
書くことが上手くなったり、言葉が達者になってけばなってくほど、それっぽく書けちゃってくる。

だけど、言葉の純度が高い、例えば子供とか、”誰かのため”に言葉を最適化できる技術を持ってない人たちには、天才的な部分がある。そこに「それは詩だよね」という角度を与える。それを発見させてあげるのも役割かもしれないなって思ってる。

なんてことないことを語ってたのが、実はそれってすごく演劇的だよ、とか、実はすごくロマンチックなものがあるよ、っていう角度を僕が与える。
ワークショップをやると、必ず同じ質問をするんです。「朝起きて、一番最初に話した人は誰ですか」っていう質問を絶対する。そのデータが僕のパソコンの中に何千人とある。
たまにそれを見るのが壮観なんです。人のエピソードに埋もれたい気持ちがすごくある。

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松倉
僕たいなプランナーって仕事は、どんどん「自分らしさ」みたいなものが欠けてくんです。
というか、どうでもよくなってくる。自分のことより何に皆が夢中なのか気になる。
友達に会うと、最近何か楽しいことあった?とか、何か悲しいことあった?とか聞いちゃうんです。
自分に何があったかより、その人に何があったかの方が楽しいんですよね。
藤田
そうそう、飲み会で、演技の話を役者さんにされるとめっちゃ萎えますね。
僕は今、全然関係ない話をしたいんだけど、みたいな。

基本的に役者さんって目がうるさいんですよ。何かを言って、みたいな目をしてくるんだけど、何ももう出ないよ、みたいな。だっておかしいじゃないですか。22時まで稽古した後に飲み行っても、なんでまだ演劇の何かを言わなきゃいけないの?って思う。
確かに、何悲しいことあったの?なんかあったの?みたいな話の方が面白い。
今、こういう話をしてしまうと、ここにも出演者がいるから、僕と話してくれなくなったりするかもしれないんですけど(笑)

仕事に関係ない話っていうのはすごく楽しい。
演劇から、僕の演劇に影響を受けたことがないんです。
僕の仕事以外の仕事からしか、アイデアは生まれてこないってことが結構ある。

松倉
僕も結構、なくていいものから学ぶことが多くて。
僕は広告とかデザインとかクリエイティブの雑誌を読んでると思われるんですけど、そういうとこから取材を受けて、参考にしてる本なんですか?って聞かれて、それっぽいこと言って欲しかったんだと思うんだけど、僕、「ファミ通」って言っちゃって。
藤田
(笑)
でも分かる。漫画とかもさ、多分求められている答えがあるんだろうけど、今は全然、ハンターハンターって答えますね(笑)

思い出すって、人として実はあたりまえのこと


松倉
時間もなくなってきたので、最後に少し真面目な質問。
「リフレイン」って手法のことをよく聞かれると思うんですけど、「リフレイン」といえば、マームとジプシーといえば、みたいな感じになってるでしょう。

それって怖くなることないんですか?

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藤田
自分で代名詞みたいに言ってましたからね。
22歳あたりの時に、初めて「リフレイン」って言葉に気がつきました。元々演劇のなかで「繰り返し」は多く使用されていた事なのですが、当時からそれまでの「繰り返し」と僕の「繰り返し」はニュアンスが違う事は取材などでも答えていました。
その説明の時に「リフレイン」って言葉を使っていました。

当時は、「リフレイン」って言葉自体が演劇界になかったし、そんなことは言ってる人はいなかったと思います。演劇の中で、反響していく、繰り返される度に助長されていく何か、みたいなことを言い始めたのは僕でした。
僕が当初から扱っている大きなテーマの一つが「記憶」についてです。「記憶」というそのものをテーマに作品を作っています。「リフレイン」という形式だけ語られる事がすごく多いのですが、それ以上に何を描いてきたかという事をすごく大切にしています。

人の中に記憶の中にある光景って、何度も繰り返し思い出すじゃないですか。その人として実はあたりまえにしていることを僕はやりたい。

演劇と映画が、絶対的に違うと思うことの一つとして、演劇はめちゃめちゃ稽古するんです。繰り返し同じシーンをやるんだけど、映画とか映像に出てる 俳優さんは、時間的な制約もあるんだと思うんだけど、演劇の俳優よりも、瞬発力を求められると思うんですよね。舞台俳優に求められるのって、明らかに瞬発 力ではない能力だと思ってるんです。
はっきり言えるのは「再現力」だと思ってる。「再現力」と「瞬発力」って全然違うから、映像をやりたい俳優と舞台をやりたい俳優って、今は同業だと思われがちだけど、僕は、全く違うものだと思う派なんです。それをしっかりわきまえるべきだとも思います。

繰り返すことができない俳優っていうのは、実は舞台はできないんじゃかないとちょっと思うんです。上演も稽古も含めて、繰り返す事を楽しめないので あれば、その人は舞台俳優じゃなくていいじゃないかなって思う。つまり、ちゃんと繰り返すことを許容してくれてないと、舞台俳優ってキツいなって思った り。
もっと言うと、「繰り返す」ってことって、演劇というジャンルの一つのテーマだとも思うんです。それって新しい事って訳じゃなくて、ずっと昔からそうだと思います。だから、僕が言う、リフレインとか繰り返しというのは、僕自身だけが持ってる手法だとは思ってないです。だって、みんな普通に繰り返してるんじゃん、みたいに思う。だから、もしかしたら、僕の言う「繰り返し」のニュアンスが、そのうち、演劇界でもスタンダードになるんじゃないかなって思ってる。

松倉
『COCOON』見た時に長い廊下のシーンとか、何度も繰り返されたり。
最初と最後に時間をかけて、すごい距離感で同じシーンが出てきたりすると、ドキッとした。
誰かの記憶とか過去みたいなものが、自分の視点に溶け込んできたことに驚いた。
でも、そっか人ってこう見るなって。

「見る」って、一つは「ものごとを見る」ってことだけど、もっと違う意味での「見る」っていうものが、さっき言われてた「当たり前にやってること」が、ここで起きてるんだなって。

これは演劇だからこそできるのかなって気はなんとなくした。
映画や小説、漫画とかって、始まりから終わりにかけてものごとが進んでいくんだけど、演劇以外のコンテンツは、現在とか過去とか未来とかが、ある程度セパレートされた状態で語られていくんだけど、マームとジプシーを見た時は、全部一緒に存在していた。

これって…「過去」も「未来」も「現在」も、この瞬間に全てあって、セリフをしゃべってる役者の方が舞台に存在してる状況を見て、鳥肌たった。演劇ってこんなことできるんだなって、それが僕は一番感動したところ。

そういう意味で、「リフレイン」に関しての質問ってたくさん出てるんだけど、手法としての質問のケースが多くて、でもこれ手法じゃないような気はするという予感があっての質問でした。

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藤田
「「リフレイン」自体が、手法として、新しいとは思ってなかった。
というか、描かなくちゃいけないものがあったんです。こういうのカッコイイっしょ!とか新しいっしょ!ってことじゃなくて、描きたいものを描くためには、「繰り返す」ことで際立たせないとダメだっていう衝動があって、衝動に正直だから、「リフレイン/繰り返し」をしてるだけだったんです、最初から。
松倉
あと、もう一つだけ聞いちゃっていいですか?
今日、稽古の時にセリフを書いてたじゃなですか。
コンセプト作る時とかそうなんですけど、一つの言葉を出さなきゃダメな時に、よくつまづくところがあって、言葉にしちゃったことで溢れるものあると思うんです。
極端な例を出すと、カップルとかが、男でも女でも、私のどこが好き?とか、私の好きなとこ言って、とか、あれって凄い残酷なことだなって。
藤田
ああ、言葉に形容してくとね。
松倉
言葉に置き換えてくと、相手のことが好きってことが、そこに落とし込まれてく。それ以外の「言葉で拾えなかったもの」って、本当は、たくさんあるんだけど、それがなかったようなことになっちゃう。言葉にすることって、そういう側面もあると思っているんです。
今日みたいにセリフを書いてる時に、言葉自体は溢れ出て、どんどん物語に落とし込んでってる感じなんですか?

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藤田
それも不思議で、やっぱり言葉を書かない時期って自分の中で重要なんです。
今日、稽古を見てくれたのはすごく良いタイミングだったなって思っていて。
今回、昨日まで自分の言葉を封じてたんですよ。
皆からのインタビューに基づいたことしか書いてなかったんです。

それで5月から6月、7月の昨日まで過ごしてきたから、みんなの言葉を聞けば聞くほど、自分の中の言葉タンクが溜まっていくんですよ。そうなると、何千字も書けますね。それが僕自身、不思議なことで。

自分の言葉だけでやってた時は、あと200字書けないよって思って、深夜泣くことってことが一年に2回くらいあったんですよ(笑)原稿の締め切りが迫ってるときに、ここまで書いたけど、「あと200字がどうしても書けないです」って、深夜、涙を流すんです(笑)自分だけの言葉だとそうなってっちゃう。だけど、人の言葉だと、例えば今日マチ子さんの漫画『COCOON』だと、言葉に困ったことがあまりない。原作が あるとか、自分の言葉を良い意味で抑制しなきゃいけない作品だと、自分の言葉タンクが増えてく。すべて自分の言葉で埋め尽くさなくちゃいけないってなって くると、苦しみが違うんだけど。

松倉
何も出なくなる時があるんだ。
藤田
何も出なくなる時の恐怖感はありますね。
泣きます、僕。
涙が自然と流れてる時がある、夜に。
松倉
今回の場合は、関係性と重ねて、言葉がどんどんストックされて、言葉がたくさん溢れ出るだ。
藤田
そうなんです。それが、今楽しくて。
2ヶ月半、オーディションも含めて、本当に皆の言葉しか聞いてこなかった。
そうなってきた時に、言葉だけじゃなくて、自分の中で立ち上がってる街があって。
あ、これは明らかに川沿いだとか、これは公園だとか。
松倉
面白いな。
街もイメージの上で見えてきてるんだ。
藤田
そうそう。京都っぽいって思ってるくれる人がいていいし、僕は京都って言葉を出したいわけではもちろんなくて、川といえば鴨川とか桂川とかを想像する人がいるかもしれないけど、そうじゃない川を想像する人もいていいし、っていう状態になって嬉しかったですね。
松倉
あっという間の2時間、ありがとうございました!質問したい人は、藤田さん捕まえて聞いちゃってね!
本日は、ありがとうございました!
藤田
まだ、あとビール一本飲んでから帰るので質問ある方きてください(笑)
ありがとうございました!

おわりに


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パソコンでセリフを書きながら、ときおり役者と笑いつつ、質問したり、その人の癖をそのまま残したり。
光が綺麗に入った稽古場で、真剣に、ときおりクスクスと、出演者の人らしさに笑いこぼれる。
同じ北海道出身、年齢も近く、本当は3万字を超える対談を1.5万字まで集約している。
演劇の話をしたのは、2時間中半分ほどかもしれない。それ以外、ほとんど「人」の話だったように思う。

既に始まっている公演もある。これを読んだ時にはソールドアウトかもしれない。
事前情報では、演劇と向き合っている印象が強かったが、言葉を重ねるうちに物語という作れらたフレームに、ただただ流れる私達の日常を抽出し、流し込み、演劇の境界線を溶かしていくような印象を受けた。
それは演劇を作るという意味を超えた作業のようにも見える。

マームとジプシーが、放浪し続け、人と出会い、言葉を重ね、それを丁寧に記録していく。
創作の場へ、それらのエッセンスを、その場の人たちと混ぜ込んでいく。
さて、こうなると演劇とはなんなのか、その境界線はなんなのか、おぼろげながら藤田さんが向かおうとする先の景色を垣間見た気がした。

これから、観劇するのが非常に楽しみだ。
この京都という地で出会った人と、どんな物語が紡がれるのか、編み込まれた糸は、創作と現実の糸が絡み合った今まで見たことのない構造体なのではないか。

また、お酒でも飲みながら演劇じゃない話をしたい。この場を借りて、今回のような貴重な機会を企画してくれたiroiroの谷田さんにお礼を。楽しい時間をありがとう。藤田さん、また飲みましょう。


お知らせ

マームとジプシーが京都滞在中に開催する公演情報です。
この対談を見て、観劇するとより藤田さんの思考がすんなり入ってくると思うので是非、足を運んでみてください。

藤田貴大演出作品「A-S」
作・演出 藤田貴大

あやか(A)は、
たしかにこの町に存在していたはずなのだけれど、
みんなの記憶のなかにはもう存在しない。
さやか(S)は、
みんなの記憶のなかには存在しているのだけれど、
この町に彼女がいた形跡はどこにもない。
ふたり(A-S)をめぐる、アシンメトリー(asymmetry)の物語。

<出演>
飯田一葉 今井菜江 大石貴也 木下朝実 小林千晴 佐藤拓道 四方いず美
四方みもり 白鳥達也 髙田大雅 谷田真緒 辻本達也 中澤陽 中田 貞代
西村瑞季 南風盛もえ 森史佳 安田晋 / 川崎ゆり子

<日程>
2016年7月30日(土)-31日(日)
7月30日(土)13:00/18:00
7月31日(日)13:00
※ロビー開場は開演30分前。開演10分前に客席への入場開始(予定)

<会場>
京都芸術劇場 春秋座 特設客席

<チケット>
一 般 3000 円 友の会 2500 円
学 生 2000 円 小学生以下 800 円
*未就学児の入場はご遠慮ください。
*全席自由席
チケットご予約はこちら

マームとジプシー「0123」
作・演出 藤田貴大

昭和3年に建設された学校の教室を複数使用して、それぞれの部屋で
0人の演劇、1人の演劇、2人の演劇、そしてカタチノチガウを上演します。
そして、ミュージシャン・青葉市子の出演も決定!ぜひご期待くださいませ。

出演 青柳いづみ 青葉市子 川崎ゆり子 吉田聡子
衣装 suzuki takayuki 舞台美術協力 髙橋涼子
2016.7.23(Sat)-8.4(Thu)/元・立誠小学校(京都)

0・・・0人の演劇/資料室
1・・・出演:吉田聡子/図書室
2・・・出演:青柳いづみ 青葉市子/音楽室
3・・・「カタチノチガウ」出演:青柳いづみ 川崎ゆり子 吉田聡子/講堂

◎タイムスケジュール
7/23(Sat) 19:00[0-1]
7/24(Sun) 17:00[0-1]/19:00[0-1]
7/25(Mon) OFF
7/26(Tue) 19:00[0-1-2]
7/27(Wed) 19:00[0-1-2]
7/28(Thu) 19:00[0-1-2]
7/29(Fri) 19:00[0-1-2]
7/30(Sat) 14:00[0-1-2]/19:00[0-1-2]
7/31(Sun) 14:00[0-1-2]/19:00[0-1-2]
8/1(Mon) Off
8/2(Tue) 14:00[0-1-2]/19:00[3]
8/3(Wed) 14:00[3]/19:00[0-1-2]
8/4(Thu) 14:00[3]
*受付開始は開演の30分前、開場は15分前を予定しております。

*[0-1]=0、1の連続上演(約30分を予定)
*[0-1-2]= 0、1、2の連続上演(約60分を予定)
*[3]=「カタチノチガウ」のみの上演(約110分を予定)

◎チケット料金
[0-1] ご予約 1,500円 当日券 2,000円
[0-1-2] ご予約 3,000円 当日券 3,500円
[3] ご予約 3,500円 当日券 4,000円
▶▶ご予約はこちら

◎会場
元・立誠小学校
604-8023 京都府京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町310-2

(松倉早星)