兵庫県・豊岡・城崎視察:「文化の土壌を考える」

3月の始め、講演会の依頼で兵庫県の豊岡市に赴いた。
豊岡といえば、カバン。もう少し北上すると温泉街の城崎。知らない街ということと、そんな遠くの街がわざわざ呼んでくれるなんて、何があるのだろう。そんな気持ちで京都駅から2時間と少し。平和な速度で北上した。

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今回は、そんな講演会の道中とそこで気づいた、いろんなことを記録しておく。
特に地方での地域活性に関する相談に少し疑問を持っていた中での相談だったため、とても考えさせられた。
答えではなく問いのスタディ。


本当の”オープン”って、なんだ?


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豊岡について早々、駅前から長〜い商店街が続く。
枝葉が分かれて、小さい商店街が右へ左へと広がり見せる。
まだ生きている商店街は少ないようだ。

昼飯を食べましょう、と歩いていると商店街の中にコタツが出ている。
すごい光景に足が止まった。週に一度、こうやってコタツが商店街にだされ、近所のお店で集めてきたお惣菜をみんなで食べる。市役所の人も商店街の人も混ざって、今度の寄り合いかなんかの話をしている。ふらりときた僕らもコタツに入って、食材を集めに向かう。

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メンズで選んだ食材は茶色い。それと白飯をつつきながら食す。美味しい。
ふらっと横切ったおじいさんが、ポットを持っていて、コーヒーを淹れだした。
どうぞ、と渡してくれる。あぁ、なんかすごくないかこれ。京都でやったら怒られるやつだ。

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普段、「オープン○○」とか、イノベーションとか、そういうこと耳にする機会が多い仕事だけど、こっちの方がよっぽどオープンだ。
開かれている、だけじゃなくて、コタツを囲んで、どう地域を変えていくかが議論されている。若い人も少しだけ。基本、おじさん、おじいさんとか、そういう人たちが街のことを語りながら、飯を食べている。

普段、僕らがオープンだ、なんだ、と語っている背景には、一度閉ざしてきた時代背景があるからなんだなと痛感した。
昔は当たり前にオープンで、困っているのが垣間見えたら地域でサポートしていた。困ったことがあってもそう。
そういった当たり前だったものから、僕らの世代ではお隣さんがどういう人かもわからない時代を経て、今僕がここにいるから凄い狼狽しているのだ。彼らは特別なことをしているんじゃなくて、昔からやっていることをしている。
そして、僕らが特別だと思っていたことは、たいして特別なんかじゃないってことに気づかされる。


モビリティが地域を断絶させる?


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この商店街を超えると、「あおぞら市場」が現れる。
昔ながらの朝市が、この豊岡では現役で機能している。

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農家のおばあちゃんが、採れた野菜をテーブルに並べて、午前中だけ開かれる朝市。
この日は午後だったのでしまっていたが翌日はしっかりお店が開いていた。
車が主流じゃなかったころは、ここがメインの市場だったのだろう。モビリティが変わって以降、ここの利用者は自然と高齢者にスライドしていく。若い人は車を手に入れ、郊外の大型スーパーで生活必需品を買い込めるし、消費するという点に関しても、モビリティが何かでロケーションが変わっているのが今の時代なんだなと思った。

とはいえ、紋切り型のスーパーでは、生産者が誰なのか明確にされる時代背景があるが、あおぞら市場では目の前に生産者がいる。そして、その人から買うわけだ。なんか色々回り回って求めていることは昔から一緒なんじゃないだろうかと考えてしまった。

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とはいえ、モビリティが買う場所をある程度定めていることはいい気づきだった。
人<乗り物<場所という関係値。人も乗り物も変わっていきやすいが、場所・街という単位は、ここの変化速度とイコールじゃない。
本来、都市計画では、人やモビリティの移り変わりを数十年先を見据えて計画しなければ、もう無理なんだろう。
豊岡だけではなく、あらゆる都市にありえる課題のように思った。

モビリティの変化で生活する場の許容範囲が大きく変わるのもある。
かつては、街中に集まっていたものが外へ外へと生活可能圏を広げ、結局、中心と周辺で世代差が大きくなる印象を持った。
モビリティという存在が生活の可能性を広げ、時代とともに外周へと逃げていく。
これをうちに戻す、もしくは中継点としての何かが求められるのかもしれない。


拠り所としての映画館

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講演会の会場でもある「豊劇」へ。
ここが素晴らしかった。入って早々、バーがある。その奥で、ウクレレ教室が開かれ、語り合う若者がいれば、奥には仕事休みな現場のおじさんがガハハと笑っている。

豊劇は古い劇場をリノベーションして、映画館としても現役であるにもかかわらず、地域の人たちが集まる拠り所として機能している。セレクトされている映画も、ミニシアター系からメジャーなものまで。一度、廃業した映画館を豊岡の方が「街から映画館をなくしてはいけない」と買ったそうだ。かっこよすぎだろう。

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映画館の中を見せてもらった、
よく見ると…

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コタツ席!!
小さい街で映画館の座席を埋める方が難しい、ということで何列かぶち抜いてコタツをアドオン。
なんか、ダイナミックにして、正しい判断。

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コタツのスイッチは自分でつけましょう。

このメインの劇場以外に、もう一つ50人くらいの小さい劇場があって、そこで講演会をしました。
話によると夏休みは、子供のための映画が小さい劇場であったり、夜は大人な映画が上映されていたり。
そのギャップよ!と思いつつも、こうやって小さく映画をピボットできるなんて考え方、とてもいいと思った。

映画が終わると入り口のバーで映画を語れちゃう。
あそこがよかった、ここが悪かったなんて。映画がなくても昼にお茶をして、夜にはふらっと飲みに来て、今では自然と若者が集まり、いろんな会話がされているのだという。

講演会後も、ここでアフターがあり、街の未来のこと、もしくは街を離れようと思ってる人、そんな人たちが思い思いに語っている絵は、とてもよかった。

誰か知らない人と語り出すのは難しい。
でも、ここならふと観劇後、お酒を飲んで隣にいる人は同じ映画を見ていた人だったりする。
そこで映画について話がはじまったり、はたまた街についてのディスカッションが始まったり。
今はまだ若い人が中心に集まっているという。人口が少ない場所で若者が集まると”たむろする”といわれる。
ここからどうやって上の世代と対話を生み出していくのか、なのかもしれない。

こういう場所が作りたかった。。。
講演会中も講演後も、ずっとそれを話していた。
バーや映画や教室やカフェが、なんのレイヤーもなく、垣根もなく、この場のあること。
これがいかに難しいか、自然とつながりだしているコミュニティを見ながら、こちらが勉強になった。
ここでいっぱい飲むためだけに、もう一度豊岡いきたいくらいである。

定まらない、これから変わっていく、天然の空気がたまらなくゾクゾクする場であった。


自分のことがわからない

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豊岡といえば、カバンの街。
いくつか、ルーツとなる豊岡鞄をみせていもらった。カゴに取っ手がついて豊岡鞄。
どの鞄屋さんも、こういう年代物を奥の方にしまっている。もったいない。
通気性がよく、どこの家にも昔はあったようだ。

豊岡では意外と鞄を切り出してのPRはされていない。
行政主導のオリジナルブランドというのもないらしい。
意外。こんなほかにないモチーフないのに。

あまりに昔からあって、当たり前の産業だからなのかもしれない。
昔、カメラメーカーが商品開発の参考に、と尋ねてきた時もそうだったが、ある一つのことを作り続けていると、自分たちが作ってるものがなんなのか、わからなくなる時がある。みたいなことと同じかもしれない。

鞄だけを外部の目も入れつつ、もう一度リサーチすると、この豊岡の切り札になると眺めていて思った。
豊岡は観光地に挟まれた立地だったりする。普通に観光すると通り過ぎてしまう。その足を止める一手はなんなのか。
お題としては凄い面白い。しかも城崎という集客力はある。その流れをどう設計するか。
仕事がきたら考えるとしよう。ただ、ほかにない「鞄」という要素をうまく使えてないのは第三者としてもったいないすぎると伝えておきたい。

就職活動でも、自分自身を知ることから始めるようになっている。
街も同じだと思っている。当たり前になりすぎた自分という存在をもう一度、問い直す機会をがっつり設けるべきだ。
基本的に他の地域がやっていることをトレースしても、うまくはいかないのは自明の理である。


どう街を接続するのか

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講演会の翌日、北上し城崎も視察。
うってかわって、人だらけ。卒業シーズンもあって大学生が多かった。
そして、需要があれば街も変わる。温泉街というイメージとは少し前に進んで若者向けのおしゃれなカフェまで散見された。

温泉街を抜け、奥へ奥へといくとアーティスト・イン・レジデンス「城崎アートセンター(KIAC)」がある。もともとあった行政施設をパフォーミングアーツに特化したレジデンスにリノベーションしている。
これがまた秀逸。温泉街というイメージと真逆のパーフォーミングアーツのレジデンスである。
まず国内外みても、ないだろう「パフォーミングアーツに特化したレジデンス」。

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ピクトも、そら踊るわ。
大小のスタジオと滞在部屋、そして、大きなホールで構成されている。

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この大ホールには、滞在作家がテストプレイする際に街の人が招待され見ることができる。
パフォーミングアーツというアートの中でも難解な属性が、この温泉街の当たり前にになっている様子は、もはや痛快だ。
お話を聞くと「温泉街という歴史が培った、他者を受け入れる素養」が、城崎にはあったから、という理由がすごく腑に落ちた。
お客さんを持てないことが当たり前な街の性格は、アートという理解が難しい存在すらも取り込み街の景色に変えている。

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1Fエントランスには、バッハの幅さんがセレクトした「うごく」がテーマの書籍や、

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壁面に張り出されている万城目さんのイベントだったり、文学もコミットしてきている。

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柱にはこれまで滞在したアーティストのメッセージが残されている。

一つ街が変わると、空気もあり方も全然違う。
でも、豊岡も城崎も隣町である。この性格が異なる都市間をどう計画が結んでいくのか。
街単体で見たときに城崎の場合、自活できるだけの人の動きがある。
地方において一人勝ち状態になってしまうと、他の地域と縦の関係が生まれてしまう。
(城崎と豊岡の関係まではわからず)

一泊二日であれば、城崎だけで堪能してしまえる時間軸だったりするので、どうこの地域の要素を解体して、再結合するのか。なかなか難しいミッションだなぁと仕事でもないのに頭をひねっていた。答えは出ていない。

まとめ

整理も兼ねてSTUDYを整理してみたが、整理しきれない。
ただ思うことは、京都だから、大阪だから、東京だから、豊かであるとは限らないと思った。
豊劇の存在しかり、城崎のKIACしかり、その土地だからこそ成立した磁場のような場所は、実は人口密度が高すぎる場所では逆に少ないのではないかと思ったり。

こういった力がある場所は、”限られた人数の圧倒的濃い想い”で生まれていることが多い。
それが大都市になると、コミットする数が増え、自分の力以外も多く集まり、欲しい場がすぐできる。
その場を成立させた人の数が多いだけ、母数は増え、多くのニーズを満たす場が誕生する。

かたや地方にいくと、豊劇の「この映画館がなくなったら、この街から映画館がなくなる」なんていう状況は、大都市には滅多にない。
そこで立ち上がった人と想いは、コミットする人は地方だからこそ多くはないため、少ない人数で場を延命させ、リブートさせる。
そうなるとどうだろう、作られた場は恐ろしい魅力と存在感だ。そこに僕は嫉妬した。

だって、何かことや場を起こそうとすれば、
そのノウハウを知っているし、容易に実現する方法が想像できる。
あの人の力を借りて、このくらいのお金があれば。
その経験と容易にイメージできることが、空気の濃度を薄くしていることに気づいて、どんどんいろんなことができるようになることが、とてもいいことだと思ってきた分、ダメージはでかかった。

しかも、それなりの規模の都市に住みながらだとなおさらである。
どうして、豊劇のような場所が京都にないのか、ずっと考えた結果でもある。
満たされている、満たされていると思っていることが、面白い場が生まれない理由かもしれない。

こんなことができたら面白いだろうな、こういう場があったら、刺激的だろうな、その普通に思えてしまうイメージに対して、どうやって「今急的かつ必要的」な気持ちをもてるか、伝わるかわかんないけど、「これがないとなくなってしまうものがある」というあったらいいなの手間の危機的な意識は、本当にその地域に住んで考え、感じなければ思えるものではない。どの施設も、土台にそれがあった。

そういう意味で、僕はまだ京都に住めていないのだ、と自覚したのだ。
そして、その場にいないのに地域活性化とか、ぬるすぎる。何か本能的に断ってきた地域活性化の違和感は、地方の素晴らしい熱にほだされて確認に変わったように思う。

住む意思がない人間が、その地域をよくできるわけがない。
まずは、自分たちの住む街「京都」をしっかり考えることから始める他、この先おもしろいことなんて起こせないと自覚している。
その場所の魅力を育てるのは、場の力もそうだけど、それを生み出した人々の想いが、文化を育てる大切な土壌になっている。
大都市では、どうしても場への愛が希薄になる。そのことがおおきな学びだった。

(松倉早星)